【銅座エリア】長崎キリシタン小説|芥川龍之介『奉教人の死』

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芥川龍之介『奉教人の死』

あらすじ

長崎の教会「サンタ・ルチヤ」に、「ロオレンゾ」という美少年がいました。彼は自身の素性を周囲に問われても、故郷は「ハライソ(天国)」、父は「ゼウス(天主)」と笑って答えるのみでしたが、その信仰の強さは教会の長老も感心するほどでした。あるとき、教会に通う傘屋の娘が、ロオレンゾに想いを寄せて色目を使うのみならず、彼と恋文を交わしているという噂が立ち、長老衆はロオレンゾを問い詰めましたが、彼は涙声で身の潔白を訴えるばかりでした。

ほどなく傘屋の娘が妊娠し、父親や長老の前で「腹の子の父親は『ロオレンゾ様です』」と宣言しました。皆から愛されていたロオレンゾも、この罪によって破門を宣告され、教会を追放されました。身寄りのない彼は、乞食のように長崎の町を彷徨うことになりましたが、その悲運な境遇にあっても教会へ足を運んで一心に祈り続けました。一方、傘屋の娘は無事に女の子を出産し、ロオレンゾを憎む傘屋の翁も初孫の誕生には顔をほころばせました。

そんなある日、長崎のまちが大火に見舞われました。傘屋の翁と娘は炎の中を辛くも逃げ出しましたが、一息ついたところで赤子を燃え上がる家に置きざりにしたことに気づき、半狂乱となりました。そこに突然、ロオレンゾが現れて、炎の中に飛び込みました。この行動を見た信者たちは、ロオレンゾこそが赤子の父親であったのだと確信しました。そして、赤子を救い出したロオレンゾは、燃え崩れてきた梁に押しつぶされ、瀕死の重傷を負ってしまいました。

傘屋の娘は司祭に対して、赤子の真の父親はロオレンゾではなく隣家の「ゼンチヨ(異教徒)」であること、自分の恋心に応えてくれないロオレンゾへの恨みから嘘をついていたことを「コヒサン(懺悔)」しました。口々に「マルチリ(殉教)」との声を挙げる信者たちはロオレンゾの最後の秘密を目の当たりにしました。焼け破れたロオレンゾの衣の隙間からは、清らかな一対の乳房がのぞいていました。ロオレンゾは、女だったのです。

原文

たとひ三百歳の齢(よはひ)を保ち、楽しみ身に余ると云ふとも、未来永々の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如し。

―慶長訳 Guia do Pecador―

善の道に立ち入りたらん人は、御教(みをしへ)にこもる不可思議の甘味を覚ゆべし。

―慶長訳 Imitatione Christi―

去(さ)んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆(ほうけうにんしゆう)が介抱し、それより伴天連(ばてれん)の憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性を問へば、故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。なれど親の代から「ぜんちよ」(異教徒)の輩(ともがら)であらなんだ事だけは、手くびにかけた青玉の「こんたつ」(念珠)を見ても、知れたと申す。されば伴天連はじめ、多くの「いるまん」衆(法兄弟)も、よも怪しいものではござるまいとおぼされて、ねんごろに扶持して置かれたが、その信心の堅固なは、幼いにも似ず「すぺりおれす」(長老衆)が舌を捲くばかりであつたれば、一同も「ろおれんぞ」は天童の生れがはりであらうずなど申し、いづくの生れ、たれの子とも知れぬものを、無下にめでいつくしんで居つたげでござる。

して又この「ろおれんぞ」は、顔かたちが玉のやうに清らかであつたに、声ざまも女のやうに優しかつたれば、一しほ人々のあはれみを惹(ひ)いたのでござらう。中でもこの国の「いるまん」に「しめおん」と申したは、「ろおれんぞ」を弟のやうにもてなし、「えけれしや」の出入りにも、必ず仲よう手を組み合せて居つた。この「しめおん」は、元さる大名に仕へた、槍一すぢの家がらなものぢや。されば身のたけも抜群なに、性得の剛力であつたに由つて、伴天連が「ぜんちよ」ばらの石瓦にうたるるを、防いで進ぜた事も、一度二度の沙汰ではごさない。それが「ろおれんぞ」と睦じうするさまは、とんと鳩になづむ荒鷲のやうであつたとも申さうか。或は「ればのん」山の檜(ひのき)に、葡萄(えび)かづらが纏(まと)ひついて、花咲いたやうであつたとも申さうず。

さる程に三年あまりの年月は、流るるやうにすぎたに由つて、「ろおれんぞ」はやがて元服もすべき時節となつた。したがその頃怪しげな噂が伝はつたと申すは、「さんた・るちや」から遠からぬ町方の傘張の娘が、「ろおれんぞ」と親しうすると云ふ事ぢや。この傘張の翁(おきな)も天主の御教を奉ずる人故、娘ともども「えけれしや」へは参る慣(ならわし)であつたに、御祈の暇にも、娘は香炉をさげた「ろおれんぞ」の姿から、眼を離したと申す事がござない。まして「えけれしや」への出入りには、必ず髪かたちを美しうして、「ろおれんぞ」のゐる方へ眼づかひをするが定(じょう)であつた。さればおのづと奉教人衆の人目にも止り、娘が行きずりに「ろおれんぞ」の足を踏んだと云ひ出すものもあれば、二人が艶書をとりかはすをしかと見とどけたと申すものも、出て来たげでござる。

由つて伴天連にも、すて置かれず思(おぼ)されたのでござらう。或日「ろおれんぞ」を召されて、白ひげを噛みながら、「その方、傘張の娘と兎角の噂ある由を聞いたが、よもやまことではあるまい。どうぢや」ともの優しう尋ねられた。したが「ろおれんぞ」は、唯(ただ)憂はしげに頭を振つて、「そのやうな事は一向に存じよう筈もござらぬ」と、涙声に繰返すばかり故、伴天達もさすがに我(が)を折られて、年配と云ひ、日頃の信心と云ひ、かうまで申すものに偽はあるまいと思されたげでござる。

さて一応伴天連の疑(うたがひ)は晴れてぢやが、「さんた・るちや」へ参る人々の間では、容易にとかうの沙汰が絶えさうもござない。されば兄弟同様にして居つた「しめおん」の気がかりは、又人一倍ぢや。始はかやうな淫(みだら)な事を、ものものしう詮議立てするが、おのれにも恥しうて、うちつけに尋ねようは元より、「ろおれんぞ」の顔さへまさかとは見られぬ程であつたが、或時「さんた・るちや」の後の庭で、「ろおれんぞ」へ宛てた娘の艶書を拾うたに由つて、人気(ひとけ)ない部屋にゐたを幸さいはひ、「ろおれんぞ」の前にその文をつきつけて、嚇(おど)しつ賺(すか)しつ、さまざまに問ひただいた。なれど「ろおれんぞ」は唯、美しい顔を赤らめて、「娘は私に心を寄せましたげでござれど、私は文を貰うたばかり、とんと口を利いた事もござらぬ」と申す。なれど世間のそしりもある事でござれば、「しめおん」は猶(なほ)も押して問ひ詰(なじ)つたに、「ろおれんぞ」はわびしげな眼で、ぢつと相手を見つめたと思へば、「私はお主にさへ、嘘をつきさうな人間に見えるさうな」と、咎めるやうに云ひ放つて、とんと燕か何ぞのやうに、その儘つと部屋を立つて行つてしまうた。かう云はれて見れば、「しめおん」も己の疑深かつたのが恥しうもなつたに由つて、悄々(すごすご)その場を去らうとしたに、いきなり駈けこんで来たは、少年の「ろおれんぞ」ぢや。それが飛びつくやうに「しめおん」の頸(うなじ)を抱くと、喘(あへ)ぐやうに「私が悪かつた。許して下されい」と囁(ささや)いて、こなたが一言も答へぬ間に、涙に濡れた顔を隠さう為か、相手をつきのけるやうに身を開いて、一散に又元来た方へ、走つて往(い)んでしまうたと申す。さればその「私が悪かつた」と囁いたのも、娘と密通したのが悪かつたと云ふのやら、或は「しめおん」につれなうしたのが悪かつたと云ふのやら、一円合点(いちゑんがてん)の致さうやうがなかつたとの事でござる。

するとその後間もなう起つたのは、その傘張の娘が孕(みごも)つたと云ふ騒ぎぢや。しかも腹の子の父親は、「さんた・るちや」の「ろおれんぞ」ぢやと、正(まさ)しう父の前で申したげでござる。されば傘張の翁は火のやうに憤(いきどほ)つて、即刻伴天連のもとへ委細を訴へに参つた。かうなる上は「ろおれんぞ」も、かつふつ云ひ訳の致しやうがござない。その日の中に伴天連を始め、「いるまん」衆一同の談合に由つて、破門を申し渡される事になつた。元より破門の沙汰がある上は、伴天連の手もとをも追ひ払はれる事でござれば、糊口のよすがに困るのも目前ぢや。したがかやうな罪人を、この儘「さんた・るちや」に止めて置いては、御主(おんあるじ)の「ぐろおりや」(栄光)にも関る事ゆゑ、日頃親しう致いた人々も、涙をのんで「ろおれんぞ」を追ひ払つたと申す事でござる。

その中でも哀れをとどめたは、兄弟のやうにして居つた「しめおん」の身の上ぢや。これは「ろおれんぞ」が追ひ出されると云ふ悲しさよりも、「ろおれんぞ」に欺かれたと云ふ腹立たしさが一倍故、あのいたいけな少年が、折からの凩(こがらし)が吹く中へ、しをしをと戸口を出かかつたに、傍から拳をふるうて、したたかその美しい顔を打つた。「ろおれんぞ」は剛力に打たれたに由つて、思はずそこへ倒れたが、やがて起きあがると、涙ぐんだ眼で、空を仰ぎながら、「御主も許させ給へ。『しめおん』は、己が仕業もわきまへぬものでござる」と、わななく声で祈つたと申す事ぢや。「しめおん」もこれには気が挫けたのでござらう。暫くは唯戸口に立つて、拳を空にふるうて居つたが、その外の「いるまん」衆も、いろいろととりないたれば、それを機会に手を束(つか)ねて、嵐も吹き出でようず空の如く、凄じく顔を曇らせながら、悄々(すごすご)「さんた・るちや」の門を出る「ろおれんぞ」の後姿を、貪るやうにきつと見送つて居つた。その時居合はせた奉教人衆の話を伝へ聞けば、時しも凩にゆらぐ日輪が、うなだれて歩む「ろおれんぞ」の頭のかなた、長崎の西の空に沈まうず景色であつたに由つて、あの少年のやさしい姿は、とんと一天の火焔の中に、立ちきはまつたやうに見えたと申す。

その後の「ろおれんぞ」は、「さんた・るちや」の内陣に香炉をかざした昔とは打つて変つて、町はづれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな乞食(こつじき)であつた。ましてその前身は、「ぜんちよ」の輩(ともがら)にはゑとりのやうにさげしまるる、天主の御教を奉ずるものぢや。されば町を行けば、心ない童部(わらべ)に嘲(あざけ)らるるは元より、刀杖瓦石(たうぢやうぐわせき)の難に遭(あ)うた事も、度々ござるげに聞き及んだ。いや、嘗(か)つては、長崎の町にはびこつた、恐しい熱病にとりつかれて、七日七夜の間、道ばたに伏しまろんでは、苦み悶えたとも申す事でござる。したが、「でうす」無量無辺の御愛憐は、その都度「ろおれんぞ」が一命を救はせ給うたのみか、施物の米銭のない折々には、山の木の実、海の魚介など、その日の糧(かて)を恵ませ給ふのが常であつた。由つて「ろおれんぞ」も、朝夕の祈は「さんた・るちや」に在つた昔を忘れず、手くびにかけた「こんたつ」も、青玉の色を変へなかつたと申す事ぢや。なんの、それのみか、夜毎に更闌(かうた)けて人音も静まる頃となれば、この少年はひそかに町はづれの非人小屋を脱け出(いだ)いて、月を踏んでは住み馴れた「さんた・るちや」へ、御主「ぜす・きりしと」の御加護を祈りまゐらせに詣でて居つた。

なれど同じ「えけれしや」に詣づる奉教人衆も、その頃はとんと「ろおれんぞ」を疎んじはてて、伴天連はじめ、誰一人憐みをかくるものもござらなんだ。ことわりかな、破門の折から所行無慚(しよぎやうむざん)の少年と思ひこんで居つたに由つて、何として夜毎に、独り「えけれしや」へ参る程の、信心ものぢやとは知られうぞ。これも「でうす」千万無量の御計らひの一つ故、よしない儀とは申しながら、「ろおれんぞ」が身にとつては、いみじくも亦哀れな事でござつた。

さる程に、こなたはあの傘張の娘ぢや。「ろおれんぞ」が破門されると間もなく、月も満たず女の子を産み落いたが、さすがにかたくなしい父の翁も、初孫の顔は憎からず思うたのでござらう、娘ともども大切に介抱して、自ら抱きもしかかへもし、時にはもてあそびの人形などもとらせたと申す事でござる。翁は元よりさもあらうずなれど、ここに稀有(けう)なは「いるまん」の「しめおん」ぢや。あの「ぢやぼ」(悪魔)をも挫(ひし)がうず大男が、娘に子が産まれるや否や、暇ある毎に傘張の翁を訪れて、無骨な腕に幼子を抱き上げては、にがにがしげな顔に涙を浮べて、弟と愛(いつく)しんだ、あえかな「ろおれんぞ」の優姿を、思ひ慕つて居つたと申す。唯、娘のみは、「さんた・るちや」を出でてこの方、絶えて「ろおれんぞ」が姿を見せぬのを、怨めしう歎きわびた気色(けしき)であつたれば、「しめおん」の訪れるのさへ、何かと快からず思ふげに見えた。

この国の諺(ことわざ)にも、光陰に関守なしと申す通り、とかうする程に、一年あまりの年月は、瞬くひまに過ぎたと思召されい。ここに思ひもよらぬ大変が起つたと申すは、一夜の中に長崎の町の半ばを焼き払つた、あの大火事のあつた事ぢや。まことにその折の景色の凄じさは、末期の御裁判(おんさばき)の喇叭(らつぱ)の音が、一天の火の光をつんざいて、鳴り渡つたかと思はれるばかり、世にも身の毛のよだつものでござつた。その時、あの傘張の翁の家は、運悪う風下にあつたに由つて、見る見る焔に包れたが、さて親子眷族、慌てふためいて、逃げ出いて見れば、娘が産んだ女の子の姿が見えぬと云ふ始末ぢや。一定(いちぢやう)、一間(ひとま)どころに寝かいて置いたを、忘れてここまで逃げのびたのであらうず。されば翁は足ずりをして罵りわめく。娘も亦、人に遮られずば、火の中へも馳せ入つて、助け出さう気色(けしき)に見えた。なれど風は益(ますます)加はつて、焔の舌は天上の星をも焦さうず吼(たけ)りやうぢや。それ故火を救ひに集つた町方の人々も、唯、あれよあれよと立ち騒いで、狂気のやうな娘をとり鎮めるより外に、せん方も亦あるまじい。所へひとり、多くの人を押しわけて、馳けつけて参つたは、あの「いるまん」の「しめおん」でござる。これは矢玉の下もくぐつたげな、逞しい大丈夫でござれば、ありやうを見るより早く、勇んで焔の中へ向うたが、あまりの火勢に辟易(へきえき)致いたのでござらう。二三度煙をくぐつたと見る間に、背(そびら)をめぐらして、一散に逃げ出いた。して翁と娘とが佇(たたず)んだ前へ来て、「これも『でうす』万事にかなはせたまふ御計らひの一つぢや。詮ない事とあきらめられい」と申す。その時翁の傍から、誰とも知らず、高らかに「御主(おんあるじ)、助け給へ」と叫ぶものがござつた。声ざまに聞き覚えもござれば、「しめおん」が頭をめぐらして、その声の主をきつと見れば、いかな事、これは紛(まが)ひもない「ろおれんぞ」ぢや。清らかに痩せ細つた顔は、火の光に赤うかがやいて、風に乱れる黒髪も、肩に余るげに思はれたが、哀れにも美しい眉目(みめ)のかたちは、一目見てそれと知られた。その「ろおれんぞ」が、乞食の姿のまま、群(むらが)る人々の前に立つて、目もはなたず燃えさかる家を眺めて居る。と思うたのは、まことに瞬く間もない程ぢや。一しきり焔を煽つて、恐しい風が吹き渡つたと見れば、「ろおれんぞ」の姿はまつしぐらに、早くも火の柱、火の壁、火の梁(うつばり)の中にはいつて居つた。「しめおん」は思はず遍身に汗を流いて、空高く「くるす」(十字)を描きながら、己も「御主、助け給へ」と叫んだが、何故かその時心の眼には、凩(こがらし)に揺るる日輪の光を浴びて、「さんた・るちや」の門に立ちきはまつた、美しく悲しげな、「ろおれんぞ」の姿が浮んだと申す。

なれどあたりに居つた奉教人衆は、「ろおれんぞ」が健気な振舞に驚きながらも、破戒の昔を忘れかねたのでもござらう。忽(たちまち)兎角の批判は風に乗つて、人どよめきの上を渡つて参つた。と申すは、「さすが親子の情あひは争はれぬものと見えた。己が身の罪を恥ぢて、このあたりへは影も見せなんだ『ろおれんぞ』が、今こそ一人子の命を救はうとて、火の中へはいつたぞよ」と、誰ともなく罵りかはしたのでござる。これには翁(おきな)さへ同心と覚えて、「ろおれんぞ」の姿を眺めてからは、怪しい心の騒ぎを隠さうず為か、立ちつ居つ身を悶えて、何やら愚しい事のみを、声高(こわだか)わめついて居つた。なれど当の娘ばかりは、狂ほしく大地に跪(ひざまづ)いて、両の手で顔をうづめながら、一心不乱に祈誓を凝(こ)らいて、身動きをする気色さへもござない。その空には火の粉が雨のやうに降りかかる。煙も地を掃(はら)つて、面(おもて)を打つた。したが娘は黙然と頭を垂れて、身も世も忘れた祈り三昧(ざんまい)でござる。

とかうする程に、再(ふたたび)火の前に群つた人々が、一度にどつとどよめくかと見れば、髪をふり乱いた「ろおれんぞ」が、もろ手に幼子をかい抱いて、乱れとぶ焔の中から、天(あま)くだるやうに姿を現(あらは)いた。なれどその時、燃え尽きた梁(うつばり)の一つが、俄(にはか)に半ばから折れたのでござらう。凄じい音と共に、一なだれの煙焔(えんえん)が半空(なかぞら)に迸(ほとばし)つたと思ふ間もなく、「ろおれんぞ」の姿ははたと見えずなつて、跡には唯火の柱が、珊瑚の如くそば立つたばかりでござる。

あまりの凶事に心も消えて、「しめおん」をはじめ翁まで、居あはせた程の奉教人衆は、皆目の眩む思ひがござつた。中にも娘はけたたましう泣き叫んで、一度は脛(はぎ)もあらはに躍り立つたが、やがて雷(いかづち)に打たれた人のやうに、そのまま大地にひれふしたと申す。さもあらばあれ、ひれふした娘の手には、何時かあの幼い女の子が、生死不定(しやうじふぢやう)の姿ながら、ひしと抱かれて居つたをいかにしようぞ。ああ、広大無辺なる「でうす」の御知慧(おんちゑ)、御力は、何とたたへ奉る詞(ことば)だにござない。燃え崩れる梁に打たれながら、「ろおれんぞ」が必死の力をしぼつて、こなたへ投げた幼子は、折よく娘の足もとへ、怪我もなくまろび落ちたのでござる。

されば娘が大地にひれ伏して、嬉し涙に咽(むせ)んだ声と共に、もろ手をさしあげて立つた翁の口からは、「でうす」の御慈悲をほめ奉る声が、自らおごそかに溢れて参つた。いや、まさに溢れようずけはひであつたとも申さうか。それより先に「しめおん」は、さかまく火の嵐の中へ、「ろおれんぞ」を救はうず一念から、真一文字に躍りこんだに由つて、翁の声は再(ふたたび)気づかはしげな、いたましい祈りの言(ことば)となつて、夜空に高くあがつたのでござる。これは元より翁のみではござない。親子を囲んだ奉教人衆は、皆一同に声を揃へて、「御主、助け給へ」と、泣く泣く祈りを捧げたのぢや。して「びるぜん・まりや」の御子(みこ)、なべての人の苦しみと悲しみとを己(おの)がものの如くに見そなはす、われらが御主「ぜす・きりしと」は、遂にこの祈りを聞き入れ給うた。見られい。むごたらしう焼けただれた「ろおれんぞ」は、「しめおん」が腕に抱かれて、早くも火と煙とのただ中から、救ひ出されて参つたではないか。

なれどその夜の大変は、これのみではござなんだ。息も絶え絶えな「ろおれんぞ」が、とりあへず奉教人衆の手に舁(か)かれて、風上にあつたあの「えけれしや」の門へ横へられた時の事ぢや。それまで幼子を胸に抱きしめて、涙にくれてゐた傘張の娘は、折から門へ出でられた伴天連の足もとに跪(ひざまづ)くと、並み居る人々の目前で、「この女子(をなご)は『ろおれんぞ』様の種ではおぢやらぬ。まことは妾が家隣の『ぜんちよ』の子と密通して、まうけた娘でおぢやるわいの」と思ひもよらぬ「こひさん」(懴悔)を仕(つかま)つた。その思ひつめた声ざまの震へと申し、その泣きぬれた双の眼のかがやきと申し、この「こひさん」には、露ばかりの偽さへ、あらうとは思はれ申さぬ。道理(ことわり)かな、肩を並べた奉教人衆は、天を焦がす猛火も忘れて、息さへつかぬやうに声を呑んだ。

娘が涙ををさめて、申し次いだは、「妾は日頃『ろおれんぞ』様を恋ひ慕うて居つたなれど、御信心の堅固さからあまりにつれなくもてなされる故、つい怨む心も出て、腹の子を『ろおれんぞ』様の種と申し偽り、妾につらかつた口惜しさを思ひ知らさうと致いたのでおぢやる。なれど『ろおれんぞ』様のお心の気高さは、妾が大罪をも憎ませ給はいで、今宵は御身の危さをもうち忘れ、『いんへるの』(地獄)にもまがふ火焔の中から、妾娘の一命を辱(かたじけな)くも救はせ給うた。その御憐み、御計らひ、まことに御主『ぜす・きりしと』の再来かともをがまれ申す。さるにても妾が重々の極悪を思へば、この五体は忽(たちまち)『ぢやぼ』の爪にかかつて、寸々に裂かれようとも、中々怨む所はおぢやるまい。」娘は「こひさん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き伏した。

二重三重(ふたへみへ)に群つた奉教人衆の間から、「まるちり」(殉教)ぢや、「まるちり」ぢやと云ふ声が、波のやうに起つたのは、丁度この時の事でござる。殊勝にも「ろおれんぞ」は、罪人を憐む心から、御主「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで身を落いた。して父と仰ぐ伴天連も、兄とたのむ「しめおん」も、皆その心を知らなんだ。これが「まるちり」でなうて、何でござらう。

したが、当の「ろおれんぞ」は、娘の「こひさん」を聞きながらも、僅に二三度頷(うなづ)いて見せたばかり、髪は焼け肌は焦げて、手も足も動かぬ上に、口をきかう気色(けしき)さへも今は全く尽きたげでござる。娘の「こひさん」に胸を破つた翁と「しめおん」とは、その枕がみに蹲(うづくま)つて、何かと介抱を致いて居つたが、「ろおれんぞ」の息は、刻々に短うなつて、最期(さいご)ももはや遠くはあるまじい。唯、日頃と変らぬのは、遙に天上を仰いで居る、星のやうな瞳の色ばかりぢや。

やがて娘の「こひさん」に耳をすまされた伴天連は、吹き荒(すさ)ぶ夜風に白ひげをなびかせながら、「さんた・るちや」の門を後にして、おごそかに申されたは、「悔い改むるものは、幸(さいはひ)ぢや。何しにその幸なものを、人間の手に罰しようぞ。これより益(ますます)、『でうす』の御戒(おんいましめ)を身にしめて、心静に末期(まつご)の御裁判(おんさばき)の日を待つたがよい。又『ろおれんぞ』がわが身の行儀を、御主『ぜす・きりしと』とひとしく奉らうず志は、この国の奉教人衆の中にあつても、類(たぐひ)稀なる徳行でござる。別して少年の身とは云ひ――」ああ、これは又何とした事でござらうぞ。ここまで申された伴天連は、俄(にはか)にはたと口を噤(つぐ)んで、あたかも「はらいそ」の光を望んだやうに、ぢつと足もとの「ろおれんぞ」の姿を見守られた。その恭(うやうや)しげな容子(ようす)はどうぢや。その両の手のふるへざまも、尋常(よのつね)の事ではござるまい。おう、伴天連のからびた頬の上には、とめどなく涙が溢れ流れるぞよ。

見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一身に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横はつた、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣(ころも)のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のやうに露(あらは)れて居るではないか。今は焼けただれた面輪(おもわ)にも、自(おのづか)らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女ぢや。「ろおれんぞ」は女ぢや。見られい。猛火を後にして、垣のやうに佇んでゐる奉教人衆、邪淫の戒を破つたに由つて「さんた・るちや」を逐(お)はれた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、眼(ま)なざしのあでやかなこの国の女ぢや。

まことにその刹那(せつな)の尊い恐しさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝はつて来るやうであつたと申す。されば「さんた・るちや」の前に居並んだ奉教人衆は、風に吹かれる穂麦のやうに、誰からともなく頭を垂れて、悉(ことごとく)「ろおれんぞ」のまはりに跪(ひざまづ)いた。その中で聞えるものは、唯、空をどよもして燃えしきる、万丈の焔の響ばかりでござる。いや、誰やらの啜(すす)り泣く声も聞えたが、それは傘張の娘でござらうか。或は又自ら兄とも思うた、あの「いるまん」の「しめおん」でござらうか。やがてその寂寞(じやくまく)たるあたりをふるはせて、「ろおれんぞ」の上に高く手をかざしながら、伴天連の御経を誦(ず)せられる声が、おごそかに悲しく耳にはいつた。して御経の声がやんだ時、「ろおれんぞ」と呼ばれた、この国のうら若い女は、まだ暗い夜のあなたに、「はらいそ」の「ぐろおりや」を仰ぎ見て、安らかなほほ笑みを唇に止めたまま、静に息が絶えたのでござる。……

その女の一生は、この外に何一つ、知られなんだげに聞き及んだ。なれどそれが、何事でござらうぞ。なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るものぢや。暗夜の海にも譬(たと)へようず煩悩心(ぼんなうしん)の空に一波をあげて、未(いまだ)出ぬ月の光を、水沫(みなわ)の中に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さうず。されば「ろおれんぞ」が最期を知るものは、「ろおれんぞ」の一生を知るものではござるまいか。

予が所蔵に関る、長崎耶蘇会出版の一書、題して「れげんだ・おうれあ」と云ふ。蓋(けだ)し、LEGENDA AUREA の意なり。されど内容は必しも、西欧の所謂(いはゆる)「黄金伝説」ならず。彼土(かのど)の使徒聖人が言行を録すると共に、併(あは)せて本邦西教徒が勇猛精進の事蹟をも採録し、以て福音伝道の一助たらしめんとせしものの如し。

体裁は上下二巻、美濃紙摺(みのがみずり)草体交(さうたいまじ)り平仮名文にして、印刷甚しく鮮明を欠き、活字なりや否やを明にせず。上巻の扉には、羅甸(ラテン)字にて書名を横書し、その下に漢字にて「御出世以来千五百九十六年、慶長二年三月上旬鏤刻(るこく)也」の二行を縦書す。年代の左右には喇叭(らつぱ)を吹ける天使の画像あり。技巧頗(すこぶる)幼稚なれども、亦掬(きく)す可き趣致なしとせず。下巻も扉に「五月中旬鏤刻也」の句あるを除いては、全く上巻と異同なし。

両巻とも紙数は約六十頁にして、載(の)する所の黄金伝説は、上巻八章、下巻十章を数ふ。その他各巻の巻首に著者不明の序文及羅甸(ラテン)字を加へたる目次あり。序文は文章雅馴(がじゆん)ならずして、間々(まま)欧文を直訳せる如き語法を交へ、一見その伴天連たる西人の手になりしやを疑はしむ。

以上採録したる「奉教人の死」は、該(がい)「れげんだ・おうれあ」下巻第二章に依るものにして、恐らくは当時長崎の一西教寺院に起りし、事実の忠実なる記録ならんか。但、記事中の大火なるものは、「長崎港草」以下諸書に徴するも、その有無をすら明にせざるを以て、事実の正確なる年代に至つては、全くこれを決定するを得ず。

予は「奉教人の死」に於て、発表の必要上、多少の文飾を敢(あへ)てしたり。もし原文の平易雅馴なる筆致にして、甚しく毀損(きそん)せらるる事なからんか、予の幸甚とする所なりと云爾(しかいふ)。

(大正七年八月)

参考|芥川龍之介「奉教人の死」青空文庫
底本|「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房 1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行

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