【館内エリア|唐人屋敷】土神堂

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中国式の丸窓と屋根の反りが美しい土神堂は、1691年に、福建省出身の中国人たちにより、唐人屋敷の中で一番初めに建てられたお堂です。門をくぐり、小さな石橋を渡ってお堂に入ると、中国では身近な神様である土神が祀られています。金運のご利益があるとされており、福徳正神とも呼ばれています。かつて、土神堂前の広場では、長崎くんちにも登場する「龍踊り」の演舞や、月琴、笛、銅鑼、喇叭などの楽器の演奏にあわせて役者が演技をする「唐人踊り」などの様々な行事が行われ、長崎の文化に大きな影響を与えました。

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土神堂の龍踊図

長崎龍踊はここから始まった

旧正月十五日の満月の日、中国で祝われる元宵節。この日の唐人屋敷では、邪気を払い、空を飛んでいる精霊を見つけやすくするための無数の灯籠がともされ、まるで不夜城のような様相となりました。土神堂の前で披露されていた龍踊は、この祭りのメインイベントです。唐人をもてなしていた丸山遊女もこの日は着飾ってお祭り気分に浸りました。この龍踊は、唐人屋敷に隣接する籠町の町民が習ってから長崎に広まり、現在では、長崎くんちの奉納踊の一つとして伝えられています。龍踊の起源は、数千年前の中国における雨乞いの儀式。龍の先にある玉は太陽と月を表しており、龍が玉を追いかけて、飲みこむことによって、空は暗転し、雨雲が垂れ込め、恵みの雨をもたらすという五穀豊穣の祈りの形でした。

土神堂の唐人踊り

唐人踊りは、明清楽の系譜へ

土神堂の祭りとして、毎年、旧暦二月上旬に行われていたのが「唐人踊り」。土神堂前に舞台を組んで、役者に扮した唐人たちが様々な楽器の演奏に合わせて演技をしました。月琴、笛、銅鑼(どら)、拍板(はくはん)、喇叭(らっぱ)、提琴(ていきん)などが演奏されました。これらの楽器で演奏する音楽を「明清楽」と言いますが、曲目の中でも『九連環』は日本全国で流行し、看看節や法界節の源流となりました。長崎の明清楽は、昭和53(1978)年3月25日、記録作成等の措置を構ずべき国の無形文化財として登録され、今でも長崎の伝統芸能として受け継がれています。

土神堂の彩舟流し

精霊流しにまつわる民話|唐人幽霊堂

むかし、長崎の館内には、貿易でやってきた中国人だけを住まわせた唐人屋敷があり、そこには幽霊堂と呼ばれる建物がありました。ここでは、航海の途中や唐人屋敷で亡くなった中国人たちを弔うため、位牌を納めていましたが、いつの頃からか、ここには幽霊が住んでいると噂になっていました。中国人たちには、お葬式のときに棺に片方の靴を入れ、もう一方の靴を棺の上に載せて、葬式が終わると、片方の靴を家の人が持って帰って供養する、という風習がありました。葬式の晩、夜が更けてくると幽霊堂の方から、ペタパタ、ペタパタ……と片方ははだしで、片方には靴をはいたような足音が聞こえてきます。中国人の間では、「死者は、一度帰って来なければ恥」と信じられていたので、その不思議な足音を聞くと、故人が帰ってきた証として安心したそうです。しかし、次第にお堂の幽霊騒ぎが続いてきたので、霊魂を祀るために、年に一度「彩舟流し」という祭礼を始めました。これは幽霊たちを故郷の中国へ送り出すため、金銀の紙などで美しく飾った藁船にのせて、海に流すというものでした。これが、現在も長崎のお盆に行われている「精霊流し」の起源と言われています。

参考 / 吉松祐一『[新版]日本の民話48 長崎の民話』未來社、近藤祐一『長崎の昔ばなし第一集』竹下隆文堂

土神堂
住所|長崎県長崎市館内町16-17
営業時間|9:00~17:00
定休日|年中無休
アクセス|新地中華街電停から徒歩8分

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