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【長崎市|浜町・銅座エリア】絵本の旅「治郎兵衛狐」をめぐる

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旅 × 絵本「ながさき絵本の旅」

ながさき絵本の旅とは、まちの民話を土産絵本化する観光プロジェクト。

まちの民話を絵本で読む

まちに伝承される民話などの物語を、現代的なデザイン・イラストで描かれた絵本で読むことができます。
※絵本商品は、公式オンラインストアまたは長崎駅かもめ市場 すみや店舗等にてご購入できます。また【長崎市】ふるさと納税でも入手できます。

観光音声ガイドと連動

絵本付属のQRコードを読み込むことで、スマホ観光音声ガイドが起動、収録作品の舞台となっている各エリアのまち歩きツアーへスムーズにご案内します。

旅のお土産品に

ツアーのあとは、まちの物語を何度も読み返せる、旅のお土産品になります。

これより 絵本の旅「治郎兵衛狐…」の
観光音声ガイド特設ページです。

長崎市|浜町・銅座エリア
絵本の旅「治郎兵衛狐 / 銅座のお稲荷様」

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絵本の見どころ

1.治郎兵衛狐|長崎一の繁華街、浜の町を舞台とした民話。住職と狐の知恵比べの顛末が見どころです。

2.銅座のお稲荷様|銅座稲荷神社に伝わる伝説。お稲荷様が、まちの人を守護する勇敢な姿が見どころです。

観光コースイメージ

偉人の集う”ハレ”のまち 碑石めぐり

観光コース(スポット一覧)

①清風亭跡 – 民話「治郎兵衛狐」
②土佐商会跡
③大浦慶宅跡
④薩摩藩蔵屋敷跡
⑤永見徳太郎通り
⑥銅座稲荷神社 – 伝説「銅座のお稲荷様」

観光コースの所要時間

徒歩で、1時間程度

観光コースマップ

地図上で、観光コースを確認

  • 絵本の旅「治郎兵衛狐 / 銅座のお稲荷様」の観光コースと地図情報をリンクしています。
  • 「+・−」ボタンもしくは二本指操作で、地図を拡大・縮小できます。
  • 地図タブ右上の「 」マークをタップすると、現在地情報(GPS)が起動します。
    ※不具合でスポット情報が表示されない場合、もう一度「  」マークをタップしてください。

観光音声ガイド

江戸時代、偉人も酒を酌み交わし歴史的な会談を成功させた商業のまち「浜町・銅座エリア」へようこそ。

本コースは、坂本龍馬、芥川龍之介、大浦慶などの偉人の足跡をめぐる「ハレ」をテーマとした小さな長崎旅です。★関連スポットでは、収録作品の民話音声ガイドを視聴できます。

絵本を片手に、いよいよ作品の世界観にふれる旅のスタートです。

特別コンテンツ搭載
絵本の旅|収録作品の舞台をめぐる、まち歩きをお楽しみください。
音声ガイド|お持ちのスマホとイヤホンでご利用ください。

#001
清風亭跡

音声ガイド

清風亭は、土佐商会に近いため藩御用達として利用されていた料亭です。1867年1月頃、清風亭の一室で、土佐藩を脱藩した身である坂本龍馬と土佐藩の重役である後藤象二郎という長年の仇敵同士が、歴史を動かす重大な会談を行いました。経営難のため亀山社中の解散を考えていた龍馬と、長州藩・薩摩藩に遅れをとっていることを焦る象二郎は、料亭に馴染みの芸妓を呼んで、杯を酌み交わして日本国家の未来を語り合い、意気投合しました。同年4月には、土佐藩を後ろ盾とした新商社「海援隊」が結成され、10月には政権を朝廷に返還する大政奉還の実現の道へと繋がりました。

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#001.5
民話「治郎兵衛狐」
※本地区(浜町)に伝わる民話。次のスポットまでの移動中にお聞きください。

音声ガイド

むかし、和尚様がお供の小僧を一人連れて、長崎の中でも一際にぎやかな浜町を通っていました。すると向こうの方から物々しい大名行列がやってきて、足軽が道をあけるようふれ歩いていました。まちの人はすべて道をあけましたが、和尚様は気にせず突っ立ったままです。お供の小僧が袖を引いても一向にかまわず、ちょうど大名籠が目の前を通るときに、声をかけました。「治郎兵衞、治郎兵衞……」しかし、籠の中の大名様は脇目も振らず、そのまま行列は去っていきました。「これは困った。ほんとの大名行列だったかもしれない。」と和尚様はすっかり青ざめました。ところがその晩、和尚様の部屋に、治郎兵衞狐がひょっこりとやってきました。「昼間は上手に化けていたと思ったのですが、どうしてわかったのですか。」治郎兵衞狐のその言葉を聞いて、和尚様はほっと胸を撫で下ろしました。「あなたは籠から太い尻尾を出していたじゃないですか。」治郎兵衞狐は頭をかきながら、「どうしたらうまく化けられるでしょうか。」と和尚様に聞きました。「私の持つ”化けずきん”をかぶればよいでしょう。あなたの”化け玉”と取り替えるなら、貸してあげましょう。」和尚様はもっともらしく言いました。治郎兵衞狐は喜んで自分の“化け玉”と、和尚様の“化けずきん”を交換しました。さて、翌日、治郎兵衞狐は意気揚々と”化けずきん”をかぶって、浜町に出かけて行きました。道行く人は「狐だぁー!」、「狐がずきんをかぶって歩いている!」と驚き面白がって、ものを投げたり、棒きれを持って追いかけてきましたので、これには治郎兵衞狐もたまりません。命からがら山へと帰って行きました。さすがの治郎兵衞狐もイタズラにこりて、二度とまちに姿を現しませんでした。

参考 / 吉松祐一『[新版]日本の民話48 長崎の民話』未來社、近藤祐一『長崎の昔ばなし第一集』竹下隆文堂
※本音声ガイドは、絵本収録文章と一部異なっています。ご了承ください。

#002
土佐商会跡

音声ガイド

土佐商会は、1866年、後藤象二郎が中心となって、土佐藩の財政強化及び近代化を進める目的で設立された機関で、土佐開成館と呼ばれます。軍艦、鋳造、貨殖などの部門の中で、貨殖局は貿易を担当し、土佐名産品を輸出し、軍需品を輸入するための長崎出張所が置かれました。1867年、後に三菱財閥の創業者となる岩崎弥太郎が長崎出張所に着任すると、その手腕で瞬く間に最高責任者に抜擢され、グラバーなどの有名な外国商人と取引し、広く信頼を得ました。土佐商会が閉鎖された後、弥太郎は私商社 九十九商会を立ち上げましたが、この1870年は三菱の創業年とされています。

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#003
大浦慶宅跡

音声ガイド

大浦慶は、長崎三大女傑の一人で、日本の製茶貿易で富を築いた女商人です。18世紀頃、欧米で緑茶が好まれるようになり、中国産の緑茶が大量に取引されていました。そのことに目をつけた慶は、佐賀の嬉野茶の商品見本を作り、出島のオランダ人に託しました。このことが英国商人ウィリアム・オルトの目に留まり、大量の製茶注文に繋がります。慶は、長崎に限らず、九州一円の茶産地から膨大な量の緑茶をかき集めて輸出し、莫大な利益を得ました。その後もオルト商会と提携し、製茶貿易で財を成した慶は、茶畑の拡大を説いてまわり、九州の茶産地発展の礎を築きました。

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#004
薩摩藩蔵屋敷跡

音声ガイド

1647年、鎖国直後に起こったポルトガル船入港事件を受けて、緊急時の警備、自藩と長崎奉行所の連絡の任を負った聞役を駐在させる各藩の蔵屋敷が設置されました。この場所には鹿児島の薩摩藩蔵屋敷が設置され、聞役の本業とともに、国際都市 長崎ならではの外交諜報や貿易業に力を入れました。薩摩藩は、藩外から買い占めた松前蝦夷地産の海産物や、藩特産品で香料・医薬品に使われる樟脳などによる貿易を収入源として、軍備を充実させました。薩摩藩の貿易の中でも樟脳は重要な輸出品で、当時ヨーロッパで流通していた樟脳の大部分は、薩摩産だったと言われています。

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#005
永見徳太郎通り

音声ガイド

永見徳太郎は、貿易業、金融業で巨万の富を築いた大地主の豪商で、「銅座の殿様」と呼ばれていました。また芥川龍之介、竹久夢二、坪内逍遥など、著名文人たちを長崎でもてなした文化人としての顔も持っていました。文豪 芥川龍之介は大正時代に二度長崎を訪れており、銅座の永見徳太郎邸に滞在しながら、浦上天主堂、大浦天主堂などの教会を訪れ、その生涯においてはキリシタン物と呼ばれる短編小説を複数残しています。芥川は花街丸山も訪れており、特にひいきにしていた芸妓照菊に自ら描いた河童屏風を贈りました。現在この屏風は長崎歴史文化博物館に所蔵されています。

*文豪 芥川龍之介の長崎キリシタン小説
『奉教人の死』のあらすじ・原文を読む

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#006
銅座稲荷神社

音声ガイド

銅座稲荷神社は、1743年、銅鋳造所の火除の神様として祀られたことから始まり、飲食店街に様変わりした現在の銅座でも商売繁盛の神様として信仰されています。この神社には、二つの伝説が残っています。一つめは、明治時代、町で大火があったとき、稲荷神が神社の屋上に現れ、白い御幣をお振りになって火を鎮めたという話。二つめは、日露戦争で町民が出征したとき、「出征した町民の守護神として共に戦地に赴く」とお告げがあり、全員無事に帰還できたという話。ビルの屋上の本殿まで、朱色の外階段が数階続く特徴的な外観を持った、商業のまちらしい神社となっています。

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