【東洋薫香】アイキャッチ

【長崎市|中島川・寺町・丸山エリア】長崎ストーリーアロマ「東洋薫香」をめぐる

【東洋薫香】アイキャッチ

香りと旅する|長崎ストーリーアロマ

長崎STアイキャッチ

長崎ストーリーアロマとは、まちの世界観を香りで体験する観光プログラム。

まちの世界観を香りで体験

まちの世界観を表現する香りをマスクや専用カードにまとわせることで、感性にふれるパーソナルな体験型観光を実現。
※香りは、アロマスプレー商品としてご用意しています。公式オンラインストアにてご購入できます。

観光音声ガイドと連動

商品付属のQRコードをスマホで読み込むことで、香りの体験と連動したweb観光音声ガイドが起動、各エリアの特別ツアーへスムーズにご案内。

旅のお土産品に

ツアーのあとは、普段使いのマスクスプレー、空間用アロマミストとしてご使用いただける旅のお土産品に。

これより Story Aroma「東洋薫香」の
観光音声ガイド特設ページです。

長崎市|中島川・寺町・丸山エリア
Story Aroma「東洋薫香」

香りのイメージ

ブレンド精油 – ブレンドストーリーの元となる観光スポット

観光コース「東洋薫香」の所要時間

徒歩で、2〜3時間程度

観光コース「東洋薫香」の特記情報

1.興福寺
営業時間|7:00~17:00まで
定休日|年中無休
拝観料|大人300円 中・高生200円 小学生100円

観光コースマップ

地図上で、観光コースを確認

  • Story Aroma「東洋薫香」の観光コースと地図情報をリンクしています。
  • 「+・−」ボタンもしくは二本指操作で、地図を拡大・縮小できます。
  • 地図タブ右上の「 」マークをタップすると、現在地情報(GPS)が起動します。
    ※不具合でスポット情報が表示されない場合、もう一度「  」マークをタップしてください。

観光音声ガイド

寺社仏閣から白檀の香り漂う「中島川・寺町・丸山エリア」へようこそ。

本コースは、寺社参道の石橋を抜けて、江戸時代より数百年続く寺院や花街ゆかりの神社を参拝する「和(東洋)」をテーマとした小さな長崎旅です。

香りのコンセプトは、オリエンタル・インセンス「東洋薫香」。白檀や梅の花のような東洋の甘い香りをマスクや専用カードにまとわせれば、いよいよ旅のスタートです。

特別コンテンツ搭載
長崎ストーリーアロマ|マスクや専用カードに「東洋薫香」の香りをまとわせて、旅をお楽しみください。
音声ガイド|お持ちのスマホとイヤホンでご利用ください。

#001
中島川石橋群

音声ガイド

1643年、興福寺の住職 黙子如定が日本最古の石橋である「眼鏡橋」を架橋したことから始まり、数十年をかけて中島川には次々と石橋が架けられました。各橋を渡った先は寺町へと繋がり、各寺院の山門へと続いていることから、寺社参道の石橋群と言われています。中島川石橋群にはなだらかに曲線を描くアーチ型石橋が多くありますが、アーチ型の反橋を極楽浄土へ渡る架け橋とする浄土式庭園の様式を彷彿とさせます。冬の長崎ランタンフェスティバルの時期には、中島川の上空に提灯が連なり、水面に鳥や蓮の花などのランタンオブジェが浮かべられる幻想的な会場となります。

地図はこちら

#002
光源寺

音声ガイド

光源寺は、1637年に開山した浄土真宗本願寺派の寺院です。当初は銀屋町に位置していましたが、1676年に火災が起こり、現在の伊良林の地に移転しました。読経や法話、紙芝居などで仏の心を学ぶ「ひかり子ども会」、どなたでもお参りできる「日曜礼拝」など様々な行事を行っており、気軽に足を運ぶことができます。光源寺といえば、亡くなった母親の幽霊が、生まれたばかりの我が子を不憫に想い、飴で育てていたという長崎の民話「飴屋の幽霊」の舞台として有名です。民話にまつわる光源寺の寺宝「産女の幽霊像」は、年に一度、夏にご開帳されます。

地図はこちら

#002.5
民話「飴屋の幽霊」

音声ガイド

むかし、長崎の麹屋町に飴屋がありました。ある夏の夜、白い着物の青ざめた女が店先に立っていました。「何のご用ですか」と声をかけたら、「飴を一文ほどください。」と言うので、飴を渡してやると、にっこり笑って去っていきました。女はそれから毎晩、一文分の飴を買って帰りました。飴屋は、その不思議な女を見るたび、背筋がゾッとしました。7日目の夜には、「今日はお金がありませんので、飴を恵んでくれませんか。」と言われたので、飴を渡してやると女は嬉しそうに去っていきました。飴屋は女の正体を見届けようと、後を追いました。女は寺町の石畳を抜けて、伊良林の光源寺に入ると、墓の前でスッと消え入りました。途端に、赤ん坊の声が「オギャァ」と響き渡りましたので、「うわぁ」と飴屋は腰を抜かして逃げ帰りました。さて、翌朝、光源寺の和尚に事情を話して、女の消えた墓の前まで行きました。その墓には、次のようないわれがありました。その頃、長崎には若い彫刻師 藤原 清永という者がいました。修行のため京都へ赴きましたが、彫刻の腕を磨いているうちに宿の娘と恋仲となりました。しかし、あるとき清永が帰郷すると、親族の決めた嫁を迎える用意が整っていたのです。そんな事とは露知らず、京都の娘は、清永を頼って、遠路はるばる長崎まで来ましたが、この始末です。長旅の疲れもあってか、女は病に伏せると、あっという間に死んでしまいました。清永は大層悲しみ、光源寺で葬式を済ませて、この墓に埋葬したばかりでした。さて、墓を掘り起こすと、なんと生まれたばかりの男の赤ん坊が出てきました。よく見れば、赤ん坊は飴を一生懸命しゃぶっていました。「女は幽霊になっても我が子を心配し、棺の中の六文銭で買った飴で赤ん坊を育てていたのだなあ。」と二人はいたく感心し、じきにやってきた清永が赤ん坊を育てることとなりました。ある夜、飴屋の枕元に女の幽霊が立ちました。「お陰様で、我が子も助かりました。恩返しをしたいのですが、なにかお困りごとはないでしょうか。」と言うので、「この辺りは、毎年夏に水に困っています。」と言いました。女は静かに頷き、「まちに女櫛が落ちていたら、そこを掘ってみてください。」と言って、消えました。翌日、まちを歩いていると、朱色の美しい女櫛が落ちていたので掘ってみると、冷たく澄んだ水が湧き出しました。これが、麹屋町に残る幽霊井戸と言われています。光源寺には、この民話にまつわる寺宝「産女の幽霊像」が奉納されており、年に一度、夏にご開帳されます。

参考 / 吉松祐一『[新版]日本の民話48 長崎の民話』未來社

#003
興福寺

音声ガイド

興福寺は、1620年創建の日本最古の黄檗宗寺院で、中国の高僧 隠元禅師が住職として滞在したことで有名です。隠元さんは、インゲン豆、ナス、スイカ、蓮根などの野菜・果物をはじめ、現代の生活にも馴染み深いダイニングテーブル、煎茶、印鑑、木魚、明朝体文字など多くのものを日本に伝えました。広々とした境内には、氷裂式組子の丸窓、アーチ型黄檗天井、瑠璃燈などの意匠が美しい国指定重要文化財の本堂や、お坊さんたちに飯時を知らせる魚の形をした鳴り物の魚板、中国貿易の象徴である航海安全の女神を祀る媽祖堂など、多くの見どころが点在しています。

地図はこちら

#004
晧台寺

音声ガイド

晧台寺は、1608年に創建された曹洞宗寺院です。境内には、歴代長崎奉行やシーボルトの娘 楠本イネなどの著名人の墓があります。創建当時、長崎にはキリシタン信者が溢れ苦心の時代が続きましたが、キリシタン転宗教化に尽力し、修行道場の僧堂を備える禅寺として確固とした基盤を築きました。キリシタン文学の大家 遠藤周作の『沈黙』においては、キーパーソンである宣教師フェレイラが住んでいた寺院という設定でも登場します。本殿では、凛とした生花の奥を覗くと、基台を含めて6.7mを超える県指定有形文化財「長崎晧台寺の大仏」の慈悲深い姿を拝むことができます。

地図はこちら

#005
清水寺

音声ガイド

清水寺は、1623年、京都清水寺の僧侶 慶順によって檀家を持たない祈願寺として創建されました。ご本尊である千手観音に寺院建立を祈願すると、東の方角に、後に瑞光石と名付ける光り輝く大石を見つけ、建立の地を定めました。「瑞光明」と刻まれたこの大石は、現在も本堂裏に残されています。境内では、国指定重要文化財の本堂、長崎の女傑 大浦慶も熱心に参拝した聖天堂、石造りの清水の舞台、唐船つなぎ石を用いた石灯籠、四国八十八カ所巡礼路を模した石仏など、多くのスポットを巡ることができます。春には、樹齢100年を超えたソメイヨシノの一本桜が咲き誇ります。

地図はこちら

#006
梅園身代り天満宮

音声ガイド

梅園身代り天満宮は、1700年に創建された丸山町の氏神様を祀る神社です。「身代り」とは、創建者の安田治右衛門が、ある夜何者かに襲われ左脇腹を槍で刺され倒れましたが、どこにも傷がなく、代わりに自宅の天神像が左脇腹から血を流していたという伝説に由来します。丸山の遊女たちも生活に苦労がないことを祈願し、お座敷歌『長崎ぶらぶら節』にも「梅園裏門たたいて」という歌詞で登場するなど花街に縁の深い神社です。境内には多種多様な梅の木、梅塚、撫で牛等の見所が点在します。歯痛狛犬は口に飴を含ませると歯痛を鎮めると伝えられ、現在も飴が供えられています。

地図はこちら