【ハレのまち】アイキャッチ

【長崎市|浜町・銅座エリア】長崎ストーリーアロマ「ハレのまち」をめぐる

【ハレのまち】アイキャッチ

香りと旅する|長崎ストーリーアロマ

長崎STアイキャッチ

長崎ストーリーアロマとは、まちの世界観を香りで体験する観光プログラム。

まちの世界観を香りで体験

まちの世界観を表現する香りをマスクや専用カードにまとわせることで、感性にふれるパーソナルな体験型観光を実現。
※香りは、アロマスプレー商品としてご用意しています。公式オンラインストアにてご購入できます。

スマホ観光音声ガイドと連動

商品付属のQRコードをスマホで読み込むことで、香りの体験と連動したweb観光音声ガイドが起動、各エリアの特別ツアーへスムーズにご案内。

旅のお土産品に

ツアーのあとは、普段使いのマスクスプレー、空間用アロマとしてご使用いただける旅のお土産品に。

これより Story Aroma「ハレのまち」
観光音声ガイド特設ページです。

長崎市|浜町・銅座エリア
Story Aroma「ハレのまち」

香りのイメージ

ブレンド精油 – ブレンドストーリーの元となる観光スポット

観光コース「ハレのまち」の所要時間

徒歩で、1時間程度

 

観光コースマップ

地図上で、観光コースを確認

  • Story Aroma「ハレのまち」の観光コースと地図情報をリンクしています。
  • 「+・−」ボタンもしくは二本指操作で、地図を拡大・縮小できます。
  • 地図タブ右上の「 」マークをタップすると、現在地情報(GPS)が起動します。
    ※不具合でスポット情報が表示されない場合、もう一度「  」マークをタップしてください。

観光音声ガイド

江戸時代、偉人も酒を酌み交わし歴史的な会談を成功させた商業のまち「浜町・銅座エリア」へようこそ。

本コースは、坂本龍馬、芥川龍之介、大浦慶などの偉人の足跡をめぐる「ハレ」をテーマとした小さな長崎旅です。

香りのコンセプトは、カーム・シトラス「ハレのまち」。重大な商談も和ませるような日本料亭の柑橘の香りをマスクや専用カードにまとわせれば、いよいよ旅のスタートです。

特別コンテンツ搭載
長崎スローリーアロマ|マスクや専用カードに「ハレのまち」の香りをまとわせて、旅をお楽しみください。
音声ガイド|お持ちのスマホとイヤホンでご利用ください。

#001
清風亭跡

音声ガイド

清風亭は、土佐商会に近いため藩御用達として利用されていた料亭です。1867年1月頃、清風亭の一室で、土佐藩を脱藩した身である坂本龍馬と土佐藩の重役である後藤象二郎という長年の仇敵同士が、歴史を動かす重大な会談を行いました。経営難のため亀山社中の解散を考えていた龍馬と、長州藩・薩摩藩に遅れをとっていることを焦る象二郎は、料亭に馴染みの芸妓を呼んで、杯を酌み交わして日本国家の未来を語り合い、意気投合しました。同年4月には、土佐藩を後ろ盾とした新商社「海援隊」が結成され、10月には政権を朝廷に返還する大政奉還の実現の道へと繋がりました。

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#002
土佐商会跡

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土佐商会は、1866年、後藤象二郎が中心となって、土佐藩の財政強化及び近代化を進める目的で設立された機関で、土佐開成館と呼ばれます。軍艦、鋳造、貨殖などの部門の中で、貨殖局は貿易を担当し、土佐名産品を輸出し、軍需品を輸入するための長崎出張所が置かれました。1867年、後に三菱財閥の創業者となる岩崎弥太郎が長崎出張所に着任すると、その手腕で瞬く間に最高責任者に抜擢され、グラバーなどの有名な外国商人と取引し、広く信頼を得ました。土佐商会が閉鎖された後、弥太郎は私商社 九十九商会を立ち上げましたが、この1870年は三菱の創業年とされています。

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#003
大浦慶宅跡

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大浦慶は、長崎三大女傑の一人で、日本の製茶貿易で富を築いた女商人です。18世紀頃、欧米で緑茶が好まれるようになり、中国産の緑茶が大量に取引されていました。そのことに目をつけた慶は、佐賀の嬉野茶の商品見本を作り、出島のオランダ人に託しました。このことが英国商人ウィリアム・オルトの目に留まり、大量の製茶注文に繋がります。慶は、長崎に限らず、九州一円の茶産地から膨大な量の緑茶をかき集めて輸出し、莫大な利益を得ました。その後もオルト商会と提携し、製茶貿易で財を成した慶は、茶畑の拡大を説いてまわり、九州の茶産地発展の礎を築きました。

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#004
薩摩藩蔵屋敷跡

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1647年、鎖国直後に起こったポルトガル船入港事件を受けて、緊急時の警備、自藩と長崎奉行所の連絡の任を負った聞役を駐在させる各藩の蔵屋敷が設置されました。この場所には鹿児島の薩摩藩蔵屋敷が設置され、聞役の本業とともに、国際都市 長崎ならではの外交諜報や貿易業に力を入れました。薩摩藩は、藩外から買い占めた松前蝦夷地産の海産物や、藩特産品で香料・医薬品に使われる樟脳などによる貿易を収入源として、軍備を充実させました。薩摩藩の貿易の中でも樟脳は重要な輸出品で、当時ヨーロッパで流通していた樟脳の大部分は、薩摩産だったと言われています。

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#005
永見徳太郎通り

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永見徳太郎は、貿易業、金融業で巨万の富を築いた大地主の豪商で、「銅座の殿様」と呼ばれていました。また芥川龍之介、竹久夢二、坪内逍遥など、著名文人たちを長崎でもてなした文化人としての顔も持っていました。文豪 芥川龍之介は大正時代に二度長崎を訪れており、銅座の永見徳太郎邸に滞在しながら、浦上天主堂、大浦天主堂などの教会を訪れ、その生涯においてはキリシタン物と呼ばれる短編小説を複数残しています。芥川は花街丸山も訪れており、特にひいきにしていた芸妓照菊に自ら描いた河童屏風を贈りました。現在この屏風は長崎歴史文化博物館に所蔵されています。

*文豪 芥川龍之介の長崎キリシタン小説
『奉教人の死』のあらすじ・原文を読む

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#006
銅座稲荷神社

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銅座稲荷神社は、1743年、銅鋳造所の火除の神様として祀られたことから始まり、飲食店街に様変わりした現在の銅座でも商売繁盛の神様として信仰されています。この神社には、二つの伝説が残っています。一つめは、明治時代、町で大火があったとき、稲荷神が神社の屋上に現れ、白い御幣をお振りになって火を鎮めたという話。二つめは、日露戦争で町民が出征したとき、「出征した町民の守護神として共に戦地に赴く」とお告げがあり、全員無事に帰還できたという話。ビルの屋上の本殿まで、朱色の外階段が数階続く特徴的な外観を持った、商業のまちらしい神社となっています。

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