水鏡のアイキャッチ

【島原半島|島原市】長崎ストーリーアロマ「水鏡」をめぐる

水鏡のアイキャッチ

香りと旅する|長崎ストーリーアロマ

長崎ストーリーアロマとは、まちの世界観を香りで体験する観光プログラム。

まちの世界観を香りで体験

まちの世界観を表現する香りをマスクや専用カードにまとうことで、感性にふれるパーソナルな体験型観光を実現。
※香りは、アロマスプレー商品としてご用意しています。公式オンラインストアにてご購入できます。

観光音声ガイドと連動

商品付属のQRコードをスマホで読み込むことで、香りの体験と連動したweb観光音声ガイドが起動、各エリアの特別ツアーへスムーズにご案内。

旅のお土産品に

ツアーのあとは、普段使いのマスクスプレー、空間用アロマミストとしてご使用いただける旅のお土産品に。

これより Story Aroma「水鏡」の
観光音声ガイド特設ページです。

島原半島エリア|島原市
Story Aroma「水鏡」

水鏡イメージ画像

香りのイメージ

水鏡コンセプト

ブレンド精油 – ブレンドストーリーの元となる観光スポット

水鏡コース

観光コース「水鏡」の所要時間

徒歩で、3〜4時間程度

観光コース「水鏡」の特記情報

1.島原城
開城時間|9:00 ~ 17:30
休館日|年中無休
入場料|大人:550円 / 小人:280円

2.西望記念館
開館時間|9:00 ~ 17:30
休館日|年中無休
入場料|島原城入場共通券にて、入場可

3.武家屋敷
開館時間|9:00 ~ 17:00
休館日|年中無休
入場料|無料

4.島原図書館
開館時間|9:00~18:00
休館日|月曜日、資料整理日[月末](月末が月曜日の場合は翌月の初日)、年末年始、特別整理期間(館長が必要と定める日)

●島原図書館内【松平文庫】
開館時間|10:00~12:00、13:00~17:00
休館日|月・日・祝日、資料整理日[月末](月末が月曜日の場合は翌火曜日)、年末年始

5.四明荘
開館時間|9:00 ~ 17:30
休館日|年中無休
入場料|大人:310円 / 小人:150円

観光コースマップ

地図上で、観光コースを確認

  • Story Aroma「水鏡」の観光コースと地図情報をリンクしています。
  • 「+・−」ボタンもしくは二本指操作で、地図を拡大・縮小できます。
  • 地図タブ右上の「 」マークをタップすると、現在地情報(GPS)が起動します。
    ※不具合でスポット情報が表示されない場合、もう一度「  」マークをタップしてください。

観光音声ガイド

雲仙の湧水溢れる 城下町 島原へようこそ。

本コースは、城下町の和の世界観を楽しみながら、雲仙山麓の湧水に育まれた「水のまち」のストーリーをめぐる長崎旅です。

香りのコンセプトは、イノセント・ブルーム「水鏡」。水面の月影を想起する、瑞々しい花の香りをマスクや専用カードにまとわせれば、いよいよ旅のスタートです。

特別コンテンツ搭載
長崎ストーリーアロマ|マスクや専用カードに「水鏡」の香りをまとわせて、旅をお楽しみください。
音声ガイド|お持ちのスマホとイヤホンでご利用ください。

#001
島原城

音声ガイド

島原城は、1624年、領主 松倉重政によって築城された連郭式平城です。外郭は周囲約4kmの塀、7つの城門、33の平櫓があり、内郭は堀に囲まれた本丸・二の丸、その北に領主の居館である三の丸がありました。本丸は、安土桃山式の総塗込め・白亜の五層天守閣を中心に、3つの三層櫓がそびえ立つ壮麗な城構えでした。この豪奢な築城は、多大な労働、過酷な重税、厳しいキリシタン弾圧と重なり、島原・天草一揆の引き金になったと言われています。廃城後、1964年に復元された現在の島原城天守閣はキリシタン史料館として利用され、最上階は、雲仙岳から有明海まで一望できる展望台となっています。

地図はこちら

#002
西望記念館

音声ガイド

西望記念館は、1972年、《平和祈念像》の作者である日本彫刻美術界の重鎮 北村西望の米寿を記念して開館されたミュージアムです。建物は、県指定史跡 島原城跡公園内にある巽の櫓を利用しており、館内には《平和祈念像》の最初の雛形や、島原半島の生家にて才能を評価されるきっかけとなった最初期の作品 欄間《雲に龍》といった貴重な作品をはじめ、数多くの彫刻・書・絵画などが展示されています。また館外は、十八番の勇壮な男性像、後半生の大きなテーマとなる平和的な女性像など、様々な作品が展示される野外彫刻園となっており、公園散策と共に美術鑑賞を楽しむことができます。

地図はこちら

#003
武家屋敷

音声ガイド

武家屋敷は、島原城外郭の西に接する下級武士の屋敷街です。足軽・鉄砲組が住んでいたこと、まるで鉄砲の筒を覗くようにずっと向こうまで見渡せたことから、「鉄砲町」とも呼ばれます。屋敷街の中央に流れる清流は、北方約2kmにある水ノ権現 熊野神社を水源とした人工水路で、飲料水としても利用されていたため、水奉行を置いて大切に管理されていました。材木奉行・船津往来番などを務めた島田家、書記・代官などを務めた篠塚家、砲術師範として重役を歴任した山本家の三つの邸宅が一般公開されており、藁葺き屋根や欄間などの風情ある建築意匠や庭園などを観覧できます。

地図はこちら

#004
時鐘楼

音声ガイド

時鐘楼は、1675年、初代島原藩主 松平忠房が「人々に時刻を知らせ、守らせることは政治の中でも大切なことである」として建立したものです。当時の鐘は、豊後国中島の藤原正次の作と言われ、高さ1.3メートル、多量の純金を混ぜた青銅製でした。堂の下は音を共鳴させる特殊な空洞構造で、美しく澄んだ鐘の音は、時には対岸の熊本まで響き渡ったと伝えられています。長らく「お上の鐘」として親しまれていましたが、1944年、戦争の金属供出命令で失われました。現在の鐘は、1980年、昔をしのぶ人たちの寄付により復活したもので、銘文や模様は《平和祈念像》で有名な北村西望の作となっています。

地図はこちら

#005
松平文庫
※音声ガイドは、館外でご利用ください。

音声ガイド

松平文庫は、島原藩主 松平家が歴代にわたり蒐集・所蔵した県指定有形文化財の古典蔵書類です。蔵書類の構成は、文学・歴史・宗教・政治・経済・教育・風俗・自然科学・医学・産業・芸術など多岐に渡ります。日本唯一の伝本『伊勢物語聞書抄』、日本最古の写本『夜寝覚』、木製活字印刷の『栄花物語』、島原藩本草学の成果を示す『鳥獣図鑑』、約200年間の島原藩政記録 市指定有形文化財『旧島原藩日記』などの貴重書も含まれ、豊富な蔵書は、藩学の基礎樹立、数多の人材輩出にも役立ちました。現在は島原図書館にて設置管理・公開活用され、館内では随時企画展示を行っています。

※掲載写真は、島原図書館1階|松平文庫展示室の企画展示「書を読む時間」の展示品です。企画展示は、随時入れ替わっています。※「松平文庫」及び「島原図書館」の表札は、日本彫刻界の重鎮 北村西望の作。

地図はこちら

#006
四明荘

音声ガイド

四明荘は、明治後期頃、開業医師 伊東氏の別邸として建築された国登録有形文化財の邸宅で、四方の眺望に優れていることからその名が付けられました。国登録記念物の湧水庭園は、昭和初期に禅僧を招いて作庭され、色鮮やかな錦鯉が泳ぎ、1日約3,000トン湧出する水の音に溢れる「動」をあらわす“表”の池、黒色の鯉に統一され、水の音が少ない「静」をあらわす“裏”の池という二種の趣で構成されています。表の池にせりだした縁側は、床板がやや上向きで、池を鑑賞する際に腰掛けやすい造りとなっています。裏の池は、初夏に花菖蒲が見ごろを迎え、清らかな水辺に咲き誇ります。

*湧水庭園 四明荘の空間を体験する
『360°VR動画』を見る(Youtubeで開く)

地図はこちら

#006.5
民話「龍女おすわ」
※島原湧水にまつわる民話

音声ガイド

むかし、島原の城下町に、李庵という若い医者がいました。ある日、李庵が雲仙岳の諏訪池まで薬草採りに出かけていると、子供たちが一匹の大きな白蛇をいじめていました。見かねた李庵は、子供たちを追い払って、白蛇を池の中へ逃してあげました。ある雨の夜、李庵の家の軒先にびしょ濡れ姿の若い娘が泣きながら立っていました。話を聞くと、長旅で足を怪我したというのです。李庵はかわいそうに思って早速手当てをすると、傷が治るまで家に泊めてあげることにしました。そうして半月ばかりすると、傷はすっかり治りました。「おかげさまでこんなに元気になりました。事情があってお金を持ち合わせていませんが、必ずご恩をお返しします。私の名前は、“おすわ”と申します」と言って、おすわは去って行きました。それからしばらくして、李庵は急病で寝込んでしまいました。そこへおすわが訪ねてきて、「ご病気とお聞きました。どうぞ看病させてください」と申し出ると、恩返しのために一生懸命看病して、李庵の病気はたちまち治りました。「おすわよ、あなたは命の恩人です。よければうちにいてください」と伝えると、おすわは嬉しそうにこくりと頷きました。李庵は美しく気立てのよいおすわをすっかり気に入って、二人はめでたく結婚しました。やがて玉のような男の子が生まれ、孝太郎という名をつけました。ある夏の日、李庵が仕事から帰ると、部屋の真ん中で一匹の大きな白蛇が孝太郎を抱き、眠っている姿を見つけました。「うわぁ」と李庵は驚いて、腰を抜かしました。すると白蛇は目を覚まし、真っ青な顔をしたおすわの姿に変わりました。「私は諏訪池で、李庵さんに助けられた白蛇です。ついうたた寝をして、正体を見られてしまいました。もうお側にいることはできません。しかし、気がかりなのは坊やです。この子が泣くときには、どうかこれを持たせてください」そう言って、キラキラと光り輝く宝玉を李庵に渡すと、おすわの姿は消えてしまいました。おすわがいない暮らしは寂しいものでしたが、この宝玉を孝太郎に持たせると、嘘のように泣き止み、病気も治ってしまうほどでした。この宝玉の噂は次第に広がって、ついにはお殿様の命令で取り上げられてしまいました。それからは孝太郎も泣き止まず、困り果てた李庵は諏訪池に向かいました。「おすわよ、おすわ」と呼ぶと、池の中からおすわの姿が現れました。「どうしたのですか」と優しく尋ねるおすわに、事の次第を話しました。黙って聞いていたおすわは池の中に入ると、あの宝玉をもう一つ持ってきました。「坊やのためにできることはこれだけです。大事にしてくださいね」そう言うと、おすわは池の中に消えていきました。その宝玉を大事に持ち帰った李庵は、誰にも知られないように宝玉を孝太郎に持たせていました。しかし、どこから知れたのか、新しい宝玉もお殿様に取り上げられてしまったのです。心優しいおすわの姿を思い出して、李庵はほろりと泣き出し、孝太郎も泣き止みませんでした。李庵はとぼとぼと諏訪池を訪れると、涙ながらにおすわに事情を話しました。「李庵さん、私を見てください」近づいてきたおすわの顔を覗きこむと、李庵は気を失いそうになりました。おすわの両目がなくなっているのです。「まさか、あの宝玉は、おすわの目だったのですか」李庵はあまりの事実にその場にへたりこみ、言葉を失いました。両目を失ったおすわの頬には一筋の涙が流れ、水底に沈んでいくようにおすわの姿は消えました。その晩から、諏訪池では何か大きなものがうごめくような地鳴りが続きました。そして、とうとう雲仙岳が大爆発を起こし、傍らにそびえる眉山も海に向かって大崩落しました。そのとき噴煙と稲光轟く雲仙岳の上空を、悲しく狂ったように飛んでいく白い龍を見たという噂が広がりました。おすわは、大切な宝玉二つを奪われた悲しく底知れない怒りによって、龍に姿を変えたのかもしれません。この天変地異は、土砂崩れと大津波によって島原と対岸の熊本を巻き込む「島原大変、肥後迷惑」という大災害をもたらしました。そして、この地殻変動によって、島原の城下町には清らかな水が湧き出す島原湧水群ができ、「水の都」と呼ばれるきっかけになったとも言われています。

参考 / 吉松祐一『[新版]日本の民話48 長崎の民話』未來社、近藤祐一『長崎の昔ばなし第一集』竹下隆文堂、金子加代子『第一集 ふるさとのおはなし』有明童話の会「くすのき」