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第三章 シーボルトの図鑑コレクション

賀来佐之の師であった長崎出島オランダ商館医 シーボルトの真の国命は、東洋の神秘の国 日本を博物調査すること。シーボルトのお抱え絵師 川原慶賀に描かせた科学的で美しい植物画は、シーボルトの植物図鑑『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』(1835年〜1870年)の原画となって、ヨーロッパの園芸愛好家を魅了しました。本章では、本草学の一つの境地である、ヨーロッパの植物分類学のルールを取り入れた科学的な“西洋植物画”の風合いを中心に鑑賞します。

 

シーボルト『日本植物誌』《アジサイ》(所蔵:長崎歴史文化博物館)※右は、実際の植物写真

シーボルト『日本植物誌』《ツバキ》(所蔵:福岡県立図書館)※以下、4枚同出典

《シュウメイギク》

《ツワブキ》

《ウメ》

シーボルトの日本植物図鑑

ヨーロッパのガーデンを⼤変⾰

⼤航海時代、ヨーロッパでは園芸趣味が⼤流⾏。氷河期にヨーロッパで絶滅した植物も温帯に属する⽇本で⽣存し、未知の多種多様な植物と共存していることが明らかとなってから、⽇本植物は⼤注⽬されていました。シーボルトは好機をとらえて、日本博物学研究の中でも特に“日本植物”の研究調査に力を入れました。賀来佐之や伊藤圭介などの門徒たちの手助けによって、日本植物写生図・標本などの収集に熱心に取り組んでいたことは本国におけるビジネスを成功させるためであったとも言えます。後にシーボルトは⽇本植物の通信販売を実現したことで、ヨーロッパのガーデンを⼤変⾰します。

日本植物学の助手 サイチ

1826年、賀来佐之は長崎遊学をしてシーボルトの門徒となって医学を学びながら、シーボルトの日本植物学研究を手伝っていました。伊藤圭介が尾張(名古屋)から長崎に持ち込んだ約1600種の植物標本から『日本植物目録』を完成させるなどの大仕事にも携わっており、佐之は蘭語(オランダ語)も植物学も分かる門徒としてシーボルトにも親しみを込めて友人サイチと呼ばれていたほどで、最先端の植物学研究に携わっていたと言われています。

彩色図鑑『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』

シーボルトの日本植物学研究の大きな成果として、科学的意義もありながら、⼀般の園芸愛好家に発信することも⼤きな⽬的として、眺めて楽しめるアートのような意味合いも持った豪華な彩⾊図鑑『⽇本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』は⽣まれます。シーボルトのお抱え絵師 川原慶賀の⽣きた植物の素描画に基づく科学的で美しい図版150 枚が収められ、ボタニカル・アート全盛時代に出版された本書は、芸術性においてもトップクラスの著作として認められることとなります。

 

川原慶賀『草木花実写真図譜』《シャクヤク》(所蔵:国立国会図書館)※以下5枚、同出典。

《フジ》

《ノウゼンカズラ》

《ロウバイ》と《ベニツツジ》

《カザクルマ》

シーボルトのカメラ 川原慶賀

出島専属のアーティスト

川原慶賀は、1786年頃、⻑崎に⽣まれた⽇本⼈絵師。⻑崎画壇の重鎮 ⽯崎融思の弟⼦として、⻄洋絵画と⽇本絵画の技法を合体させるなどの最新教育を受けた後、1811年頃、出島に⾃由に出⼊りできる「出島出⼊絵師」の特権階級を斡旋されます。以降、商館⻑、商館員などの求めに応じて、カメラのごとく⽇本の⽂物をうつしとって記録する出島専属のアーティストとして活躍し、特にシーボルトのお抱え絵師として、⽇本博物学研究のための数多くの絵画を描くこととなります。

サイエンスとアートを融合する

シーボルトは、川原慶賀の写実的で正確な絵画を⾼く評価していましたが、⻄洋植物画における科学的原則に沿った記録が必要であったため、1825 年、植物画家デ・フィレニューフェを来⽇させました。慶賀は、この植物画家からおしべやめしべなどの植物分類に必要な箇所も精密に描き出す⻄洋植物画の原則を指導されたことで、シーボルトの満⾜のいく植物学的⾒地からも有⽤な図譜を数多く⽣み出します。そして、慶賀のアートは、次第に⽇本画本来の情趣と⻄洋の科学的な画法を融合させた独⾃の境地へと辿り着きます。

そして、ボタニカル・アートの名作へ

川原慶賀がうつしとった、おびただしい数の⽇本植物の図譜コレクションは、名作『⽇本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』の図版製作の基礎となりました。シーボルトは、この原画を元に、植物図版の製作に傑出したドイツやオランダの画⼯に版下画を描かせて、出版を⾏います。この版下にする過程では、枝ぶりや葉や花の配置などは⻄洋の植物画の知識に応じて原画から改変が⾏われているため、川原慶賀ならではの構図や雰囲気からは多少異なった趣となっています。

原画図鑑『草木果実写真図譜』

シーボルトの求めに応じて描かれた川原慶賀の植物原画は、そのほとんどがヨーロッパへ持ち帰られ、シーボルト・コレクションとして海外のミュージアムに収蔵されています。しかし、シーボルトの帰国後、慶賀は一つの植物図鑑『草木果実写真図譜』を描いています。おしべやめしべ、花や実の断面図などを精緻に描く西洋植物画のルールにのっとりながら、日本画的な美しい植物の姿をしなやかに描いており、シーボルトのお抱え絵師として研鑽を重ねた、慶賀の極地が感じられる貴重な原画図鑑となっています。

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2023 年は、日本を世界に紹介した偉人シーボルトの来日(1823)から200 周年。これを記念して、長崎市観光公式サイト travel nagasaki では、デジタル展覧会「日本をひらく 蒼いまなざし シーボルト・ヤポニカ」(全6部)が開催されました。島原藩医 賀来佐之の医学・博物学の師匠であるシーボルトについて、その生涯から日本博物学研究の集大成(三部作)『日本』、『日本植物誌』、『日本動物誌』などの美しい図版解説を軸に、200 年前、シーボルトの瞳に映った日本・長崎の風景を見つめる追体験をお楽しみいただけます。

 

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