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第一章 賀来佐之 島原花鳥ミュージアム

出島オランダ商館医・博物学者 シーボルトに才能を高く評価された弟子 賀来佐之。賀来佐之もまたシーボルトの本懐である日本博物学研究の運命へ導かれたのか、島原には一つの美しい博物図鑑『鳥獣図鑑』が残されています。(本ページの掲載図譜|岩堀勝政・賀来五郎『鳥獣図鑑』 所蔵:肥前島原 松平文庫 )

 

草部・上《シャクヤク》

草部・上《フジ》

草部・下《ノウゼンカズラ》

草部・下《シュンギク》

賀来佐之と博物学

博物学へのめざめ

1799年、賀来佐之は、島原藩領の国東郡高田村(現在の大分県豊後高田市)で生まれました。佐之は、14歳で儒学者 帆足万里に師事して本格的に医学を学んだ後、1823年、杵築で医業を開きます。1826年、佐之は長崎へ遊学して、出島オランダ商館医・博物学者 シーボルトが開いていた医学私塾 鳴滝塾に入門すると、最先端の西洋医学・博物学などを学んだことで自身の知識技術を大きく飛躍させることとなります。

師弟関係を超えた学術交流

賀来佐之とシーボルトは、師弟関係を超えた博物学交流を行っていました。佐之は、シーボルトの求めに応じて植物写生図や動物標本を贈っていたこと、シーボルトの日本追放直前にも約1600種の植物標本に学名と和名を付けて分類する『日本植物目録』草稿の作成を担当していたことも書簡に記されており、シーボルトの日本博物学研究に大いに貢献したと言われています。

最先端の植物学書を広める

賀来佐之は、シーボルトの門徒で、幕末の三大本草学者の一人 伊藤圭介とも熱心に交流していました。スウェーデンの植物学者リンネの植物分類法を、日本に初めて体系的に紹介した伊藤圭介『泰西本草名疏』(1829年)の校訂・販売に協力したほか、門徒の中でもとりわけ蘭語(オランダ語)の得意な佐之は、圭介のために医学・本草学に関する蘭書の手配もしていたほどで、当時の本草学の第一人者とも対等に渡り合っていました。

 

木部《ウメ》

木部《キリ》

木部《ヒノキ》

木部《マツ》

日本博物学の成立

国産の本草学

本草学とは、東洋医学に付属する薬物学で、植物などの自然物の薬効を研究分類する学問でした。中国で生まれた本草学は、奈良時代以前に日本に伝来しましたが、中国と日本では自然物に大きな違いがあるため、江戸時代、国内資源の調査・研究を進めた結果、国産の自然物に特化した博物学的性格を持つ本草書 貝原益軒『大和本草』(1709年)が誕生し、日本博物学発展の起点となっていきます。

西洋博物学のエッセンス

鎖国時代、長崎出島にヨーロッパの先進的な博物学書籍が入ってきたことで、本草学は有用・無用を超え広く自然一般を調査分類する博物学へと明確に変化していきます。江戸時代後期には、西洋博物学の基本原則 リンネの植物分類法などを採用した科学的なスケッチの動植物図譜が制作され始めたことで、動植物の知識を広める日本博物学研究はめざましく発展していきます。

色彩豊かなボタニカル・アート

カメラのなかった時代には動植物の姿を精緻に描く写生図が博物資料として重要視されるとともに、ヨーロッパにおいては芸術要素も含んだ植物画 ボタニカル・アートの流行も全盛期を迎えていました。賀来佐之の師 シーボルトも、ヨーロッパに帰国後、鮮やかな色彩の植物図譜が掲載された日本植物学の大著『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』(1835〜1870年)を発表する偉業を残しています。

 

鳥獣部《フクロウ》

鳥獣部《ウズラ》

鳥獣部《オシドリ》

鳥獣部《オナガキジ》

島原の美しい博物図鑑『鳥獣図鑑』

賀来佐之 博物学をあらわす

長崎県指定有形文化財『鳥獣図鑑』(1858年)は、草部上・草部下・木部・鳥獣部・魚部の5帖からなる美しい博物図鑑。賀来佐之が生前に残した本草学原稿を元に作成された豊田定高『多識図譜』(1858年)の内容に沿って、佐之から本草学を学んだ絵師 岩堀勝政、佐之の四男 賀来五郎によって描かれました。この博物図鑑の存在は、佐之の師 シーボルトが後世に残した日本博物学の大著『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』(1835〜1870年)、『日本動物誌(ファウナ・ヤポニカ)』(1833〜1850年)の偉業にも重なるようで、時と場所を超えた師弟のつながりを感じられます。

鳥獣図鑑のねむる 肥前島原 松平文庫

島原市図書館内にある肥前島原 松平文庫は、島原藩主 松平家が歴代にわたり蒐集・所蔵した県指定有形文化財の古典蔵書類を管理する文化施設。蔵書類の構成は、文学・歴史・宗教・政治・経済・教育・風俗・自然科学・医学・産業・芸術など多岐に渡ります。島原藩本草学の成果を示す『鳥獣図鑑』をはじめ、日本最古の写本『夜寝覚』、木製活字印刷の『栄花物語』、約200年間の島原藩政記録 市指定有形文化財『旧島原藩日記』などの貴重書も含まれています。豊富な蔵書は藩学の基礎樹立、数多の人材輩出にも役立ったと言われており、好学の島原城主の姿を物語っています。

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